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もすこみゅーるだんでぃー

だらだら垂れ流しています
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sideB 26
あれから手癖だけで作れるような作品でなんとかほぼ毎日徹夜で描き上げた。
ろくな作品ではない。
生み出しておいていうのも何だが読者にも作品にも申し訳のないものだった。
漫画好きには到底納得できないような内容で自分でも最低だと思っていた。

「クリスマスは家族と過ごすけど23日は泊まりに来るから好きなだけできるよ!」とメイは宣言していた。
「俺はそんなにセックス好きじゃない」とかいうと「私じゃ満足でないっていうの?」とか面倒な切り返しをしてくるのが目に見えていたから「友達の家に泊まるとか言うのか?ずいぶんと信用されているんだな」と言った。
「ううん。彼氏の家に行くってちゃんと言った」
「は?」
それが俺が出せた精一杯の言葉だった。
「私友達少ないし、泊まりがけで遊べるような友達は居ないの」
「そうなのか?」
「うん。みんなバカだし話が合う子は連むのが好きじゃないタイプの子ばっかりだし」
こめかみ辺りを強く抑えて目を閉じる。
俺の周りにはどうしてこうも生き方が不器用というかなんというか、そういうタイプの人間しかいないのだろうか。
「好きな人が一緒にいればそれだけでいいもの」
「幸せというのはこういうことを言うのよ」と言わんばかりの満ち足りた優しい笑顔でメイは言った。
メイと付き合っていなかったらメイは俺のストーカーになったんじゃないかと不安になることがある。
かといってそれらしい素振りは見せたことがないから、そんな心配はいらないのかな。
携帯をのぞき見したり、尾行されたりというのはない。
ただ、俺の仲のいい人を毛嫌いする傾向はある。
男なのに剣崎さんが筆頭にだったりするから、女心というかメイの考えはわからない。

「だから早く子供作ろう」
「なんでそうなるんだよ」と普通のツッコミをいれて言葉を続けた。
「高校生だろ。これから大学だって社会人になって色々体験した方がいいだろ」
するとメイはわかっていないとため息を一つついた。
「だって、私の人生は一度きりだよ。自分のしたいことを優先するなんて当たり前じゃない」
「出会った頃は世界一周が夢とか言ってなかったっけ?」
「そんなのセイちゃんが亡くなった後にだってできるじゃない」
「先に逝くの前提かよ。まあ年の差から行くと俺のが断然先だけど」
「そうでしょ。私はセイちゃんが亡くなるのを看取ることも人生に含まれているの。だって、セイちゃん私が先に死んだら生きていけないもの。セイちゃんと付き合って私の人生設計は変わったの。優先事項の一番はセイちゃんと家庭を作ること」
きっぱりとすっきりとさっぱりと言ってのけた。

「本当に俺の所に泊まるって言ったのか? 親はなんて言ってたんだ」
「避妊はしっかりしろって。あと近いうちに連れてこいって」
「ずいぶんと放任主義な親だな」
あっけにとられながらそう言った。
「社会適応能力の低い私のことを考えると嫁に早く出したいんじゃない。でも、世間体があるから学生のうちに子供は作らせたくない」
「おまえは斜に構えすぎだよ。もう少し愛されているだろ」
「うちは妹が体が弱いからそっちにどうしても気持ちが行っちゃうから。私もそれでいいと思ってるし、妹はかわいいし、両親が好きだから早く独り立ちしたいんだ」
「それでいて目指せ扶養家族はないんじゃないか?」
「遅かれ早かれなら若い奥さんもらった方がお得じゃない? それにちゃんと仕事はします。セイちゃん養えるくらいの稼ぎを目指さなくちゃだけどね。そうなると大学は出た方がいいか……うーん。家族計画が遠のいていく」
漫画のキャラクターのように首を深くひねって悩んでいる。
滑稽だがそれもよく似合う。
愛しさ半分おかしさ半分で吹き出したらメイがキッと睨んで飛びついてきた。
メイはこの上なくキスが好きだ。
ただ、それは俺が距離を置こうとするから安心が欲しいからなんだと思う。
中途半端に逃げようとするスタンスが彼女を拘束していることに気がついていた。
それでもそれを辞められない俺は孤独が苦手なクズなのだう。
孤独が本当に得意なやつなんていない。だから、誰かに寄り添いたい。
俺のようなクズはそうやって誰かを殺してゆく。
相手の時間を浪費させるのは死を与えるのと同じだ。
その人間の一生は限られている。それを俺が台無しにしようとしている。

「おまえは優しすぎる。他人の舞台で脇役演じてどうするんだよ」と剣崎さんに言われたことがある。
自分の舞台で主役を演じるより他人の舞台で脇役に甘んじている方が楽だった。
それが他人の時間を無為にさせるものだとしても。

メイの柔らかい唇が押し当てられる。
少し体温の低いメイの舌が滑り込んでくると脳の奥の方がじわりと麻痺にも似た感覚が広がる。
これが何かはわからない。罪悪感なのかあるいはもっと甘いなにかなのか。
そして、この後は必ずセックスに流れる。
ほら当たり前のように俺は反応している。

それから当たり前のように12月23日にメイは泊まりに来て二人きりで過ごすことになった。

クリスマスイブは結局一人で過ごしている。
日中はメイに引っ張り回されたが夜は一人になった。
分かれた後に一抹の寂しさがあったがそれは素知らぬ顔をしておくことにする。

けんちゃんの店で飯を食って酒を飲んだ。
「ミツルさんがいないと寂しいだろ?」
「いや、今日はちょっと会いたくないかな。それにデートだって聞いているよ」
「へー。それは奇特な相手もいたもんだ。まあ、確かにこんな夜に男三人ってのもつまらないからこれぐらがちょうどいいか」
「ああ。そうだろ」

なんとなくまっすぐ帰る気になれず剣崎さんに連れて行かれたバーを探してみることにした。
デートの時に自分のねぐらを使わないと前に言っていたからきっといないだろう。
別れたときに面倒くさいというのが剣崎さんの言だが、別れるのが前提で場所を選ぶ
人に連れて行かれると道を覚えない。
見つからなければそれまでだ。縁がなかったと諦めよう。

不意に一人の男が目に入った。

男は建物の入り口で佇んでいる。
首の後ろに一度右手を当てるとそこを二度掻いた。
掻いた右手を眺めて胸から倒れ込むようにして建物の中に消えていった。

男の挙動が奇妙でなんとなくそちらを避けて違う道を進んだ。
数分うろうろして結局見つからずあの奇妙な男のいた辺りに行くことしにた。

男のいた建物の前に近づくと目的の店だった。
ふとあの男のことが気になって階段の先を見上げていた。

気がつくと男と同じ姿勢になっていた。
右手で首の後ろを押さえて掻いていた。
なんだか気味が悪くて俺はその手を見た。その姿勢まで同じになったとき後ろから何かがぶつかってきた。たまらず前のめりに倒れそうになる。
数分前に見た男の挙動と一致していた。

「す、すみません」

振り返ると大きな鞄を持った女が立っていた。
かわいらしいタイプに属する女性だ。

「あ、いえ。大丈夫です」
実際に大丈夫だったが、それよりも男の動きと一致していることが気持ち悪かった。
俺の言葉を聞いてほっとした表情を浮かべてもう一度謝ると彼女は階段を登っていった。
行く先はどうやら同じらしい。
レトロ映画に出てくるような狭い階段を登ると「OPEN」の表示の看板が出ていた。

中から声が聞こえてきた。

「せ、先生ぇ。先に1人でお店に入らないで下さいって、あれほど言ったじゃないですか!!」
息を切らせて先ほどの若い女が声を上げていた。

「紹介するよ、ボクの助手をやって貰っている、美島麗ちゃん。あ、彼女については、ボクより皆さんの方が詳しかったかな?」
その声を発したのは先ほど見かけた奇妙な男だった。
正しくは覚えていないが間違いようがない。纏っている空気がここの階下で見た人物と同じで特異だったからだ。

「うん? おや。やはりきたかね。来ると思っていたよ。いや、来るべくして来たと言うべきかな」
漫画のキャラクターを切り抜いて外見を人間風に味付けしたようなタイプだ。
それ故に不安と不快感を与える。
人の姿をしているのに人ではないような雰囲気がそこにある。
これを異質と感じるのは当たり前だ。

「どういうことですか?」
「なにがだね?」
「さっきの言葉です」
「どの言葉かね?」

不毛な気がして俺は口を閉じた。
「大抵酔っていなければここでボクの相手をするのを諦める。きみは実に模範的だよ。」
「お客様」
マスターと思われるバーテンダーが割ってはいらければ店を出ていたことだろう。
「おっとこれは失敬失敬。美島君も来たことだしぼくは彼女との会話に興じよう」
「お断りします。あ、マスターご無沙汰しております。」
奇妙な男の待ち人と思われる美人は男の隣に座る前に一度深々と挨拶をした。
この男は一緒にいる女性を見習うべきだと思う。
「そうなると他にボクは話す相手を探さなくてはならないな」
「黙っていればいいじゃないですか」
「美島君は厳しいな」
「先生はただでさえ人を不快にさせるのですから黙っていた方がいいんです」
「おや。しかし、人は言語でコミュニケーションをおこなう生き物だよ。それができなければ社会不適合者じゃないか」
「それをして先生は不適合者じゃないですか」

所在なげに突っ立っていると長身のマスターが柔らかいバリトンで「こちらへどうぞ」と席へと促してくれた。
席はカウンターのやや中央あたりで常連らしき男の席をひとつ空けて座った。
「確か以前剣崎さんといらっしゃっいましたよね」
「え? 覚えているんですか? 1回しか来たことがないのに」
「たまたまですよ。常連の方と一緒の場合は気をつけているだけですので」
謙遜しているがたぶんこの人は一度あった人を忘れないタイプの人だろう。
漫画のような人がいるものだ。
「飲んだものとかは覚えてませんよね?」
「……ジントニック、ホワイトレディ、サイドカー、スティンガー、フェイマスグラウスの水割りだったと思いますが。なにか好みのカクテルがございましたか?よろしければお作り致しますが」
ドラゴンボールなら感嘆符が10くらい並んでいるような表情をしていたに違いない。
「すごいですね。よく覚えていらっしゃいますね」
「職業病のようなものですよ」
はにかんだように少し笑いながらマスターはそう言った。
記憶の良さが職業病ならバーテンダーになりたいものだ。
「ああ、えーとロングアイランドアイスティーを」
一瞬周りの空気が緊張感に包まれた。
何か地雷を踏んだのだろうか。
「美味しいって話だったので」
緊張から出た言葉が更に空気をただならぬものに変えた。
俺はこんなにも空気が読めなかっただろうか。

「ははは。いいじゃないか。ロングアイランドアイスティー」
そう言ったのはあの奇妙な男だった。
片手に持ったグラスは茶色の液体で満たされていて俺に向けて乾杯するように小さく上げた。
同じものをオーダーしたのかと後悔する。
カウンターを軽く見るべきだった。
それをしなかったことが悔いたが今となっては意味がない。

「かしこまりました」
マスターの声が後悔の坩堝にいた俺の耳に届いた。
ずいぶんと長い間待たされたような気もするがほんのわずかな時間だった。

マスターは手際よくボトルを俺の前に並べた。
ラム、テキーラ、ウオッカ、ドライジン、ホワイトキュラソーのボトルを並べる。
4大スピリッツをシェーカーに入れ、風味付けにホワイトキュラソーを少しだけ入れる。
レモンを搾りシェーカーに入れる。粉糖を少し入れ手早く混ぜ合わせシェーカーに氷を詰める。
長目のタンブラーにシェーカーから注ぎ、コーラを注いで軽く混ぜ合わせる。
レモンスライスとストローを入れて完成する。
一連の動作に淀みがなく美しい。

「お待たせしました。ロングアイランドアイスティーです」

シェイクしたことで口当たりが柔らかくなりコーラ以外の材料は十分混ぜられているので、炭酸も必要以上に攪拌しないで済むので飛んでいない。
アイスティーだからそれほど炭酸にこだわる必要はないのだが、気の抜けた炭酸はやはりまずい。
紅茶飲料であれば十分に通じる不思議な飲み物だ。
アルコール度数は決して低くなく、この飲みやすさは悪用できそうな印象だった。
実際に悪用するやつらもいただろう。

件の男が乾杯とこちらにグラスを上げて見せた。
断る理由もないのと酔いも手伝って乾杯した。
あの手の手合いは相手にすればしたで面倒だし、何もしなければそれはそれで絡んでくるので面倒だということはわかっている。
そして後者になった場合大抵ろくなことにならない。
執拗に絡まれる。
あの手の手合いは相手にすればしたで面倒だし、何もしなければそれはそれで絡んでくるので面倒だということはわかっている。
そして後者になった場合大抵ろくなことにならない。
間違いなく執拗に絡まれる。

そんな心を見透かしてか男は意味がありそうで全くないであろう笑みを浮かべてこちらを一瞥した。
仮に意味があったとしてもそれに関与するつもりはなかった。
それにこの手の連中は本来相手にとって意味のないことに意味を持たせることで、自分を優位にする。詐欺師かペテン師の類だ。

まっすぐ家に帰れば良かった。
今更だが俺は少しの後悔を酒で流し込んだ。

到底普通ではない男に対して隣にいる女性は普通に接している。
それが異常なことのように思える。
異常に対して正常な対応というのはどこか壊れているのではないか。
不可解なのはそういうことなのだろう。

女子高生と真剣に付き合うおっさんもそういう意味では異常なのかもしれない。
普通には見られない。
そういう意味では俺とあの男との差は見てくれくらないものかもしれない。

「そう。人間なんて見た目以外は大差ない。ことによっては見た目だって大差ない。他の人種の見分けが付きにくいように人は以外とどんな姿でも他者から見れば差がないように見えるものだ。差をつけるとすればそれが特殊な存在になったときだよ」

俺に話しかけたのかと思って男の方を見ると女性に向かって話していただけだった。
心を見透かされたのかと思ったがそうでもないようだった。
同じ人間とは思えなかった。さっきとはまるで違うことを考えている自分に驚く。
俺とあの男では住んでいる世界も生きるというベクトルさえも違うのかもしれない。
同じ時間軸に居合わせただけかもしれない。
二度と会うことはないかもしれない。
ただ、男の持つ特有の雰囲気のせいかもしれないがきっとこの男とは再び会うことになると思った。

「さて、今日はこれで帰るとするか」
「もうですか? 私まだ飲み足りませんよ」
「きみ。麗くん。なんでも満ち足りればいいというものではないのだよ」
「でも」
「そうだね。確かにきみはここに残ればいい。きっときみに聞きたいことが山ほどあるだろうから」
「……帰ります」
「いや、きみは残りたまえ。今日はそのために来たのだから」
「そんな。先生を帰して飲むなんてできません」
「まあ、いいじゃないか。本来ここにいるべき人物が飲むロングアイランドアイスティーを飲んだわけだし。ボクの役目は終わった。では、勘定は任せたよ。あとで請求してくれたえ」

そういうと男は風のように店からいなくなった。
残された女性は所在なげにその場に座るとカウンターの中の美人に声をかけられた。

ストローで一気に中身を無くすと俺は「ウォッカアイスバーグ」とマスターに向かって言った。
男のまねでここにいるべき人物が飲むであろう酒をオーダーした。

この後俺はこの歯磨き粉のような香りのする液体と暫く格闘しその後飲む酒の大半がその香りで汚染されるという中々に酷いクリスマスイブを過ごすことになった。

JUGEMテーマ:小説/詩

| Scrap Heaven | 11:30 | comments(1) | - |
side B25
JUGEMテーマ:小説/詩

 「明後日は来るの?」
12月22日の深夜にミツルはサキからそう尋ねられた。
「残念ながらその日は予定があるんだよ」
「そう。気を遣って損したわ」
「似合わないことするからそうなるんだよ」
「そうね。あんたに気を遣うなんてバカだったわ」
「そう自分を責めるなよ。おれだって予定があるなんって思ってもみなかったんだから」
おどけた調子でそう言うといつものようにウオッカアイスバーグを一口含んだ。
「確かに予定があるあんたが悪く思えてきたわ」
「助けなきゃ良かった。ところで、24日に来ると何かあるのか? プレゼントとか?」
「そうね。時間を潰すことができるなんてプレゼントがあるけど?」
「それは今ももらってるだろ」
「じゃあ、ほぼ毎日プレゼントを与えてるってことになるのかしら?」
「それなりの対価は払ってるだろ」
「そうね。それなりの対価よね。それなりの」
サキは「それなり」の部分の語気を強めてそう言った。

「サキ」
マスターの穏やかなバリトンボイスがサキをたしなめた。
名前を呼んだだけだが含まれる音の響きにそれがあった。
掛け合いはいつものことだが、新しい客が居るときにこの掛け合いは内輪すぎて引く可能性が高い。
だから客が誰もいないとは放置するが新規の客が居るときは、適当なタイミングで嗜める。
サキが叱られるとミツルは引く。
ミツルの察しの良さがわかっているからマスターはサキを嗜める。
それで十分だった。

ミツルはそれを契機に帰ることにした。
なんとなくタイミングとしてはそれがベストのように思えたからだった。
それに下手にサキにつっこまれるのを避けるためにはそれでいいように思えた。

そして、クリスマスイブになった。
ミツルは片瀬江ノ島の駅を降りた。
ちょっと張り切りすぎているくらいの女がいて声をかける。

「よう。ナタリア」
「おはようございます。その呼び方辞めてくれませんか?」
「ははは。そんなことより服装若干クリスマス仕様だね。似合ってるよ」
全体的に黒っぽい色が流行の中でもこの日だけは赤が女子の間では利用される。
そういうのは嫌いじゃないが好きでもなかった。
「ええ。せっかくですし」
「しかし、連休の中日だってのになんで片瀬江ノ島はこんなに人がいるんだ? 8割は江ノ水目当てか?」
「でも、江ノ島にも行けますよ?」
「そうだけど。まあいいか。とりあえず、飯に行こう。帝国ホテル上がりのシェフがやってる安いフレンチが近くにあるからそこに行こう」
「はい!」

片瀬江ノ島の駅から近くにその店はあった。
ナタリアは本日のランチを注文してミツルは魚のランチにした。
クリスマスらしく本日のランチは鶏のもも肉のコンフィだった。
魚は鱈のムニエルでケイパーを使ったバターソースが特徴の一品だった。

「今日は限定でグラスシャンパンもご用意しています」
「じゃあ、それを二つ」
ミツルはなんとなく注文してから少しだけ流れが問題のある方向に流れ出してきているような気持ちになった。

クリスマスイブに狙ってもいない女と二人で過ごす羽目になったのは、11月の下旬に世界大会で優勝したバーテンダーの店になんとか祝いに行った後ほろ酔い気分でばったりナタリアこと成田アヤに会ったことに起因する。

「あれ? 剣崎さん?」
「おーナタリア。これからスクヘブか?」
「どうしようかなぁって思って。ちょっとお腹も空いているけど今日シンゴさん休みでしょ?」
「そうか。じゃあ、なんかそこらの居酒屋に付き合ってやるよ」
「え? いや、大丈夫ですよ。リンガーハットとか行きますし」
「なんだよ。じゃあ、イタリアン行こう。パスタにしろ。パスタに」
アヤは押し切られる形でダイニングバーに近い形態のイタリアンに二人は行った。

ミツルはワインをボトルでオーダーしチーズの盛り合わせでダラダラと飲み始める。
始めてくる店でミツルと二人きりなことにアヤは少し緊張していた。

「適当に飲んでいいよ。まあ、常連面できるほど来てる店じゃないから、その辺は察してな」
「え。あ、はい」
上司と部下という感じに見えるかもしれない。
必要以上に敬語のアヤとフラットすぎるミツルは見た感じは恋人でもおかしくないが、空気感が上下関係を醸し出していた。
もちろんアヤが一方的にその空気を作っているのだが。

店内のディスプレイがどこかクリスマスムードになっているのに気がついてアヤが口を開いた。
「すっかりクリスマスムードですね」
「そうだなぁ。まあ特に関係ない行事の一つだけどな」
「今年も女子会ですよ。あれに出るとなんか負けた気がするんですよねぇ」
「そうなのか? じゃあ、なにかするか?」
「え? あ、えーと、じゃあ、お願いします」
少し照れたようにアヤはそう言ったのでミツルは少し訝しんだ。
「じゃあ、なにかしたいことはある?」
「えーと、水族館とか行きたいです」
「水族館?」

このときミツルは自分の言葉の足りなさを呪った。
「じゃあ、いつもの店で常連集めて何かするか?」と別口でパーティーを開くことを想定したつもりだったが、このタイミングで男が女を誘うとなればデート以外のなにものでもない。
しかし、気付くのが遅かったのとアヤを傷つけないようにするためにミツルは「水族館ねぇ。江ノ島水族館だと月9でやってたからなんかあったような?」とはじめからそのつもりだったように演じた。

そして現在に至る。

フルートグラスのシャンパンを一口含むときに天を仰いだ。
がっちりクリスマスの展開になりつつある。
昼だからさすがにムードはない。とは言いつつもこの先の展開を考えれば、相手が自分のことを心底嫌いじゃなければ、普通に急造カップルのできあがりまで行く自信はある。
それ故にミツルは敢えて店の予約をしなかったし、意味がこもらないようなプレゼントを選んだ。
不機嫌にならないように上機嫌にならないように努めた。
クリスマスイブに何をしているのか。

新江ノ島水族館は不必要に込んでいた。
当たり前だ。クリスマスで特殊仕様のイベントであふれかえっているし、八景島よりも安くてフレンドリーだ。庶民派水族館といえるのかもしれない。
すし詰め状態の水族館でも幸せムードが空間を支配していた。
それ自体は悪いことではないがミツルにとっては少し疲れる空間だった。
幸せになれていないとかそういうことではない。ただ、まわりの空気に圧力のようなものを感じた。
幸せを演出するというような感覚を感じていた。
幸せは悲しみと違って演出でいくらでも生み出せる。だからこの空間の演出された幸せの雰囲気に圧力を感じていたのかもしれない。
ミツルはぼんやりとクラゲの入っているグラスのツリーを眺めていた。
多くの人が写真を撮っている。アヤも携帯で撮影していた。
クリスマスカラーのライトに照らされたクラゲがゆらゆらと大型水槽で揺れていた。
喜んでいるカップルを画面越しに見ているような気分で眺めていた。

こういうところに来るとミツルは世界から隔絶された気分になる。いや正しくは自分から世界に線を引く。
逃げているだけかもしれないが幸せになる資格を拒絶している。いつか来る不幸を恐れているだけと言われたらそれまでだがそれでもミツルはそれを許容しがたいと考えている。
純粋にクリスマスの空気を楽しんでいるアヤを漠然とした不安とちりちりと焦がすような嫌悪を感じている。

繰り返す。ただ繰り返す。
「嫌うな。嫌うな。嫌うな」
繰り返す。ただ繰り返す。呪文のように。

「剣崎さんもどうですか?」
「ああ……いいよ。おじさんは人ごみ苦手だから」
「きれいですよ」
「……そうか。じゃあ見に行くか」

やや押し切られる形でミツルはクラゲやイルカのショーを見ることになった。
はしゃぐアヤを見て普通にかわいいこだなと思ったし、当たり前のクリスマスの幸せを受け入れていた。

夕方になり二人は水族館を出た。
「江の島行きませんか?」
「寒いし遠いからなぁ」
「せっかく来たんですから」
「うーん。まあ、せっかくだしな」
結局ここも押し切られる形だった。

紫色のイルミネーションにライトアップされたシーキャンドルを下から眺める。最速で20分待ちだといういうことで寒さも手伝い下から眺めるだけにした。
西側が赤と青のグラデーションに彩られカップルや家族が写真を撮っていた。
当たり前のようにある温かい光景で心が揺さぶられる。
塔の上のほうを見上げる。アヤは登りたかったかもしれないがさすがにそこまでロマンチックなことはできなかった。
ただでさえ流されているというのにこのままどこまで自分は流されていくのだろう。
ミツルはぼんやりとこのままいつものように流されて付き合いことになるのだろうかと考えていた。
アヤのような普通のいい子なら仮にそうなったとしてもうまくやっていけるのではないか。
こうした風景の中に自分も溶け込めるのではないか思った。

そのときある光景が浮かんだ。
そして、サキの顔が浮かんだ。
次にマスターとシンゴが浮かんだ。

サキだけなら自分の恋愛感情を疑うが店を最初に思い出したことで自分の流儀を思い出した。
そうだ。バーでの恋愛はご法度だ。
だからこの先は自分で流れを変えようと決めた。
少しだけ幸せに酔ったのかもしれない。しかも悪酔いだ。

「寒いし腹も減ったな。そろそろ行こうか」
「そうですね」

それから二人で居酒屋に行く。
Scrap Heavenに行くかという話もあったが今日は違う店にした。
普段よりも気を遣い過ぎていたのかミツルは泥酔した。

目を覚ますと見知らぬ天井があった。
喉がひどく傷む。
「おはようございます」
アヤの声だった。

ホテルか!?

アヤが上から覗き込んでいる。
「どこ?」
「覚えてないんですか? カラオケですよ」
「うん?……ああ、そういえば、なんかが上手いからとかで行くことにしたんだよな」
「ええ」
「どれくらい寝ていた?」
相変わらずアヤを見上げながらしゃべっていることが不自然だがどのタイミングで膝枕から脱出するべきか悩んでいた。
「1時間くらい……」

嘘だろう。

「ごめん。てか、ありがとうかなぁ。でも、やっぱりごめん」
「気にしないでください」
「気にするわなぁ」
そう言ってミツルは起き上がった。
「本当にすまなかった。今何時だ?」
「5時半くらいです」
「うわー。マジで今度穴埋めす……るわ」
「いや、いいですよ。楽しかったし、好き勝手に歌ってたんで」
「そう言われてもなぁ」
「じゃあ、今度スクヘブで1杯ください」
「……別の店にしないか?」
何かを感じ取ったのかアヤは「そうですね。じゃあ美味しいものごちそうしてください」と、少しいたずらっぽく笑ってそう言った。
少し高くつきそうだが、店でこの展開を詮索されるくらいなら安いものかとため息を吐き出さずに笑顔を作って「まあ、そんなに高い店じゃないけどそれで許してよ」とおどけてそう言った。

| Scrap Heaven | 02:21 | comments(1) | - |
side B24
JUGEMテーマ:小説/詩

 真実はいつも残酷な姿で目の前に現れる。
成田アヤの前に現れたのは二股をかけられたというものだった。
それを告知したのは下腹部を襲った痛みだった。

8割は症状が出ないと言われる感染症にかかった。
いわゆるクラミジアだ。

ここ最近男性と言えば彼氏しかいないから、相手にそのことを突きつけたとき最初はとぼけていたが、最後には観念して二股を白状した。
思いっきりひっぱたいてやろうかと思ったが、それで済まされそうな気がしたから何もせずに釈明もさせずに別れた。
後々これはこれでなんだか相手に都合がいいような気がして腹が立ったが、それも通り越すとだまされた情けなさと、悲しさでどうしようもないくらいに泣いた。

結果として別れたものの感情を爆発させなかったことが悪かったのか軽い人間不信に陥り職場と家の往復で後は引きこもりに近い状況になっている。

土曜日の午前10時テレビが無駄な情報番組を流していた。
少なくともどこにも出かけるつもりのないアヤにとっては音と映像の羅列でしかない。
布団にくるまりながらぼんやりと眺めるわけでもなく眺めた。
脳天気だなと思うくらいに晴れやかな笑顔で女の子たちが何かを紹介している。

携帯が震えた。
バイブにしていたので枕元でガタガタと震えている。
ディスプレイに表示されているのは友人の名前だった。
出る気になれず無視した。

留守電に切り替わると通話は途切れた。
たいした用事じゃないのだろう。
布団の中に潜り込もうとした。
再び携帯が震えた。
表示された名前は同じ友人の名前だった。
もう一度無視する。
本当に面倒だった。何もかもが面倒で部屋も汚れ始めている。
平均的に女子らしい部屋で明るめの色彩だが過度になりすぎない辺りは、いわゆる男子受けしそうな甘さを出した部屋になっている。
その部屋も脱いだ服やコンビニ弁当の容器がレジ袋に入れられてゴミ箱の近くに汚れていると認識できる程度に置かれていた。
布団の中に潜り込む。
携帯の震えが止むのを待っていた。
停止した。
再び震え出す。
観念して電話に出た。

「もしもし?」
「無視すんな」
「ううう。だって面倒だったんだもん」
「ナタリア。部屋でうじうじしてんでしょ」
「そ、そんなことないよ」
「あんたはわかりやすいね」
「ほっといて。もう寝るから」
「朝の10時に寝るバカがどこにいる」

ドアフォンが鳴った。
遅れて携帯の中からも同じ音が聞こえた。

「え? 外にいるの?!」
「なんだ。やっぱりいるんじゃない。開けなさい。開けないとドアフォン鳴らし続ける」
「無理無理。だってすごい汚いから」
執拗にドアフォンがならされている。ご近所迷惑も甚だしい。
「聞き分けがないと次はドアを叩き続けるよ」
一度ドアが叩かれた。
アヤは咄嗟にドアまで駆け寄ってドアガードをしたままドアを開ける。
「なっちゃんやめてよ。近所迷惑だから」
なっちゃんこと田野上ナツノはドアを叩き始めた。
「え!? わかった。わかったから」
ドアガードを外し扉を開けるとナツノは勝ち誇ったように「よし」と言って部屋の中に入っていった。

ナツノは中身のぎっしり詰まった大きなエコバッグを二つ持っていた。
それをテーブルに置くとナツノはベランダがある方に歩きカーテンを開け放った。
アヤはそのまぶしさに目を細めた。
ついでにナツノは換気のためにベランダのガラス戸を開ける。
「掃除と洗濯よろしく。私は水回りをキレイにして飯を作る!」
背中に日の光を浴びながらナツノはアヤにそう宣言した。

日に晒されると部屋の汚さが浮き彫りになる。
自分にしでかしたことに呆れつつも、高校時代からの親友であるナツノの勢いの良さに押し切られて部屋の片付けを始めた。
部屋を片付けることでなんとなく自分の中の何かを整理できていくような気がした。
12時には片付けも終わり、ナツノの料理も完成した。

小さなテーブルの上にあふれるかと思うほどの料理が並んでいた。
「なっちゃん。これ3日分くらいあるよ?」
「食べきれない分は冷凍するなりしておけばいいのよ」
食い道楽のナツノは料理を作ることが得意だった。探求心が旺盛なナツノは食べたものをそれらしく再現することを趣味としていた。
同じものを使えば同じようにできるが、それでは芸がないので安いコストで似た味を作ることに心血を注ぐ傾向にある。
「ご飯はちゃんと食べないと体だけじゃなくて心も弱るよ。いただきます」
「いただきます」
二人はテーブルを挟んで古い日本の食卓のように両手を合わせる仕草をした。
ちゃんとした食事をするのはどれくらいぶりだろう。
アヤはのろのろと箸をのばし煮物の入った深皿からにんじんを取り出した。
口に運ぶとにんじんらしいにんじんの香りがした。
安くていいものを買うとかいうのが彼女の考えなので、たぶん朝市に行ったのだろう。

「ご飯食べたら外出するよ」
「うん」

ナツノが男だったら間違いなくアヤは結婚したいと思っていた。
自分の意志を持ってはきはきしているナツノがうらやましかった。
それでいてそうはなれないから憧れていた。
自分を確立できているナツノに対して自分はぼんやりとした存在に思えてならなかった。
周りから見るとナツノに振り回されているように見えるかもしれないが、ナツノはナツノなりに気を遣ってくれている。それは十分にわかっていることだった。

キレイに三角食いをしながら次々と食べ物を口に運ぶナツノを見ていると何かあったのかもしれなとふと思った。
視線に気づいたナツノは口の中のものを飲み込んで口を開いた。
「どうかした?」
「ううん。なんでもない」
「そう? 早く食べて外に出かけるわよ」
「この量は早くは食べられないよ?」
「じゃあ、適当に」

食事をした後二人は出かけた。
何をするわけでもなくウィンドウショッピングしたりお茶をしたりして、夕食を食べた。
関内の安いイタリアンで食事をして、ナツノが行ってみたいというバーにやって来た。

SCRAP HEAVEN-

ネオン管にそう書かれていた。
雑居ビルの階段を上がりドアを開けると身長の高い細身のバーテンダーが目に飛び込んできた。
穏やかな声で「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」と声をかけてきた。
アヤはナツノと二人でマスターの前に座った。

「何になさいますか。簡単なメニューはありますが、よろしければお好みでお出ししますのでどうぞ」
「それじゃあ、ジンフィズ」とナツノはあっさりとオーダーした。
アヤは慌てて「えーと、なにか甘くてさっぱりしたもので」と注文した。
数瞬の間が空いて長身のバーテンダーはアヤに尋ねた。
「そうですね……ラムとグレープフルーツジュースは平気ですか?」
「大丈夫です」
「では、それらを使ったカクテルをお出しします」
その後バーテンダーはナツノに向き直り「ジンは何か指定の銘柄はありますか?」と尋ねた。
「特にないです」
「かしこまりました」

ビフィータージン45ミリ、レモンジュース20ミリ、シュガー(粉糖)2tspをシェーカーに入れる。
もう一つのシェーカーにラム45ミリ、グレープフルーツジュース45ミリ、ガムシロップ1tsp、グレナデンシロップ1tspを入れる。

氷を詰めたタンブラーをあらかじめ用意しておきジンの入ったシェーカーを振る。
シェークし終わるとそれをグラスに注ぎ、炭酸水を注いでスライスしたレモンを沈めた。
次にラムの入っているシェーカーを振り、ワイングラスに注ぎ大きめの氷を一つ浮かべストローを添える。

二人の前にコースターを置きそれぞれのカクテルを差し出した。
「お待たせしました。ジンフィズです。そして、こちらはイスラ・デ・ピノスです」
「いすらでぴのす?」
「はい。イスラ・デ・ピノスです」
「そんなことより乾杯しよう」とナツノが横やりを入れてきた。

アヤは何度か口の中でカクテルの名前を小さくつぶやいてから、グラスを手に取り乾杯をした。

「おいしい」
「うん。こっちもおいしいよ」
二人はしげしげとグラスを見つめてから、顔を見合わせる。
「交換しようか」
「うん」
ナツノの案をアヤは二つ返事で受けた。
二人は交換したグラスのカクテルを飲む。
「おいしいね」
「うん」
再びグラスを交換してオーダーしたものが互いの手元に戻った。

「二つともいわゆる古いタイプのカクテルに属しますが、おいしいと思います」
バーテンダーは穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
「すみません。実はこのカクテルそんなに好きじゃないんです。その店の技量がわかると聞いていたので、なんとなく頼んでいたんです」
「漫画のバーテンダーの影響ですか?」
「……はい」
「そういうお客様もいらっしゃいますからお気になさらずに。むしろそれで関心を持たれたことの方がこちらとしてはメリットだったりしますから。とはいえ、あまりでないカクテルオーダーされても困るんですけどね。忘れっちゃってるから」とバーテンダーは破顔する。
「でも、これはすごくおいしいです。今までいろいろ飲みましたけど一番です」
「ありがとうございます」

「カクテルに関しては横浜の中でじゃ、この店が一番だよ」
カウンターの端の方で女性バーテンダーと話している常連とおぼしき男が二人にそう言った。
「若い子だと話しかけるのやめたら? かっこう悪い」
「そこは他のお客さんの迷惑だからって言えよ。なんか嫉妬されてるみたいで気持ち悪い」
台詞とは裏腹に常連の男はどこか微笑んでいるように見えた。
そして、その常連の男と話している女性バーテンダーは左右の目の色が少し違うように見えるが、不思議な雰囲気のある美女だった。
二人は取っ組み合いでもするんじゃないかと思うほどの口げんかをしているが、どこか会話を楽しんでるようにも見える。

「すみません。いつものことなので気にならないような放置しておいてください」
カウンターの逆の端にいた美青年のスタッフがそう言った。
「気になるなら速攻で止めますので」
「シンゴ。そんなこと言わなくても止めるよ」
長身痩躯のバーテンダーは美青年にそう言うとけんかしている二人の方を見た。
その視線を感じて二人は口を閉じた。
これといって睨んだわけではない。ただ見ただけだった。
それがなおさら怖いもののような気がしたが、口を閉じていたのは一瞬だけでお構いなしに常連らしき男が口を開いた。

「空気悪くしちゃったな。申し訳ない。一杯おごらせてくれないかな?」と常連の男は女性二人に申し出た。
「いや、大丈夫です。なんかおもしろかったし」
ナツノはそう言って笑った。
「そう言ってもらえると助かる。いや、実際断られること前提で話してみたんだよ」
「じゃあ、ください」
「言うんじゃんかった」
ナツノはケラケラと笑った。
「お兄さんおもしろいね」
「なっちゃん。初対面の人に失礼だよ」
アヤはそう言ってナツノの袖を引く。
「そう? ナタリアは心配性だね。この状況でどうこうなるわけないじゃん」
「へー。ナタリアってハーフ?」
「ううん。この子成田アヤっていうんだけど、高校の自己紹介の時に咬んで「な、ナタリア……あ!」みたいなことになって、それ以来高校3年間ナタリアだったんだよね」
アヤはそれに対して不服そうに「それは言わないで」と避難の目で見ていた。
「生粋の日本人か。確かに濃い顔の美人だけど、外国人風ではないもんな」
「でしょ? もう高校時代の3年間そう呼んでいたから今更直せなくなって。町中でうっかり言っちゃうから恥ずかしくて」
「それは直さないなっちゃんが悪いんじゃない」
「そう? あーおもしろい……ちょっとトイレに行ってくるね」
飲みかけのジンフィズをぐっとあおるとナツノはトイレの位置を聞いてトイレに消えていった。
「すみません。水をいただけますか」
「かいこまりました。ちょっとお酒強かったですか」
「いいえ。前の店でも飲み過ぎたので」
氷の入った水をマスターは二つ用意して女性客二人の前に置いた。

ナツノがトイレに消えるのを見て常連の男はアヤに話しかけた。
「なーナタリア」
「もう呼び捨てですか? その名前なんですか?」
「あだ名に敬称をつけるのは変だろ?」
「せめてアヤくらいにしてくれませんか?」
「ナタリア。なっちゃんはなんであんなに無理してるんだ?」
「え? ……わかるんですか?」
「ああ。そういう匂いがするんだよ……失恋とか?」
アヤは「失恋したのは私の方なんだけど」と言いそうになった。

しかし、確かにおかしかった。
ストレスやメンタルが弱っているとナツノは無駄に料理を作る。
今日はその兆候が著しかった。
3日分にもおよぶ量を作ったのは見たことがなかった。
過去の傾向からすると失恋しても一度に食べられないような量だったが、さすがに3日分の量というのは見たことがなかった。
言われるとどんどん不安が鎌首をもたげる。

「ミツルいい加減にしなさいよ」
「ああ。人の領域に入り込むのは信条じゃないが、ああもバランスが悪いと見てられなくてな」
「何が言いたいかわかってるの」
「ああ、サキわかってるよ。すまない。迷惑かけるから謝っておく」

常連客のミツルと女性バーテンダーサキの会話はナツノがトイレから出てきたことで強制的に遮られた。
「マスター。アクアマリンって作れる?」
「できるけど……お節介じゃないか?」
「まあ、そう言わずに」
「やっぱりダメだよ」
「そうか……じゃあ、気が向いたら出してくれないかな?」
「向かないよ」
「ケチ」

ナツノは戻ってくるとミツルとマスターの顔を交互に見た。
「何がケチなんですか?」
「いや、さっき言われたから1杯だそうかなって思ったんだけど、オーダーしたカクテルは作れないって言われたんだよ」
「どうしてですか?」
マスターの顔を見ながらナツノは尋ねた。
「人様のオリジナルなのでちゃんと同じ味に作れないかもしれないので」
「カクテルなんていつか誰かが作ったオリジナルだろ。オリジナルを超える味を作り出す一流の贋作師が何を言うかな」とミツルはマスターに突っ込みを入れる。
「確かに一流だと思います。あ、贋作師という意味じゃなくて。バーテンダーとして」
ナツノが後を追うようにそう言った。
「ということで、彼女に出してあげて」
ミツルは間髪入れずにマスターにオーダーした。
それに続くようにナツノも同じことを言った。
マスターはため息を一つついてミツルを一時出入り禁止にしようかと考えた。
シェーカーを取り出しカウンターに置く。
ラム、ブルーキュラソー、シャルトリューズヴェールを並べる。
ライムを搾る。
ラム40ミリ、ライム20ミリ、ブルーキュラソー1tsp、シャルトリューズヴェール1tspをシェーカーに入れて氷を詰めてシェイクする。
ソーサー型のシャンパングラスに注ぎ氷を浮かべる。

「お待たせしました」

青色の液体の入ったグラスをナツノの前に差し出す。
「じゃあ、遠慮なくいただきます」
一口口に含んだのを確認してミツルは口を開く。
「このカクテルの名前はアクアマリン。アクアマリンは気持ちを素直にさせる力があるパワーストーンなんだよ」
キッとナツノはミツルを睨んだ。
すっとミツルは目を細める。
ミツルの元から微笑んでいるように見える顔つきが余計に笑顔に見えるようになった。
「どういう意味?」
「何をため込んでるのかは知らないけど辛そうに見えたんだよ」
「今日初めて会った人に何がわかるっていうの!」
「わからないから聞かせてくれないか」
「何も知らない人に教える理由はないわ」
「「理由がない」ね……ため込んでいることはあるってことだな。俺は兎も角高校時代から知っている彼女にも言えないのか……すまない。ちょっと卑怯だったな。苦手なんだよな。人がなんか無理しているのは」
「ずるい。先に謝られたら責められないじゃない」
ミツルは深々と頭を下げた。

「なんで世話をやくんですか?」
その言葉を聞いてミツルは顔を上げる。
「だから言ったろ。辛そうな女が嫌いなだけなんだよ」
「それだけで? お節介ですね」
「そうだよ。それだけだよ。バカみたいだろ」
「ですね。普通なら怒って帰りますよ」
「そうだよな。でも、よかったら話してくれないかな? これと言って解決できるとは思っていないけど、話をすれば気持ちは少しはましになることもあるだろ」
「そうやって女性を口説くんですか?」
「あいにくとこの店じゃ口説かない。いろいろ面倒だろ? 常連面させてもらっている店で色恋は御法度なんだよ」
ナツノはサキを見た。
肯定するようにサキは小さく表情を変えた。
それを見て一瞬何か不安げな表情になったが、観念したようにナツノは口を開いた。
「腐れ縁だった男と二度と会わない約束をした。それだけなんだけどね」
「それだけねえ……腐れ縁ってことは大抵一定の年月一緒にいて何らかの感情が存在したわけだろ。いわゆる「情」ってやつはそこに確実に存在しているはずだからな……たぶん、きみを辛くさせているのものの名前は喪失感だな」

ナツノは黙っていた。
ミツルはほぼ無色透明なロックグラスに入った酒を一口口に含んだ。

「理解したくないという気持ちが先にあるから得体の知れないものになっている。失ったものを失ったと認めたくないから気持ちが不安定になり辛くなる。なーに。名前を与えれば存在は確定するからじきに気持ちも落ち着くよ」
見る見るうちにナツノの顔が蒼白になってゆく。目が見開かれ心の中のざわつきと同じくからだが小さく震える。
喪失感という言葉で片付けられたくない。

この気持ちにその名前をつけないで。
勝手に終わらせないで。
言葉を口にしようとしても吐き出せない。
遠くで男の声が聞こえている。酷く間延びした声が聞こえるが何をしゃべっているのかわからない。

出会ったときに互いに恋人がいた。
つかず離れずの距離に甘えていた。
比較した。いつも比較して恋人に対する熱が冷めていった。
タイミングが悪かった。こっちが恋人と別れると相手に彼女ができた。
仕事も忙しかった。それにかまけて連絡をしないでいた。それが救いだった。
逃げ込んでいた。自分の気持ちと向き合った時にどうしようもないところまで来たのかもしれないと思った。だから、目の前から消えようと思った。
決心した。
二度と会わないでおこうと思っていた。
それなのに「付き合っちゃおうか」と言われたときに胸の奥に衝撃が走った。
決意を崩壊させそうなほどのインパクトだったが踏みとどまった。
恋人がいるのにそんなの無理に決まってる。
一瞬喜んでしまった自分の浅ましさに憎悪した。
感情が複雑になりすぎてきっと能面のように無表情になっていただろう。
喪失−
失って二度と戻ることのないもの……

「お客様!」という大きな声でナツノは現実に引き戻された。
声の主はこのバーの店主だった。

自分の真横辺りに空のグラスとそれを握っている手が見えた。
その手はアヤのものだった。
アヤの顔を見ると怒りが滲んでいた。
アヤの視線を追うとそこには濡れたミツルがいた。
一瞬何が起こっているのかわからなかったがアヤがミツルに水をかけたらしいことがわかった。

「なんでそんなこというの! ナツノだって辛いんだよ。あんたにそんなこと言われる筋合いなんてない!」

サキはミツルにおしぼりを渡そうとした。
「いいさ。じきに乾くだろ」
「そう。じゃあカウンター拭いてよ」
「そうする」
ひったくるようにおしぼりを受け取ると中腰になり、ミツルは顔から水をしたたらせながらカウンターを拭いた。
「顔くらい拭いたら? 結局カウンターに落ちて意味ないじゃない」
さらにおしぼりを渡したが、それをミツルは濡れていない場所に置いた。

「ナタリアごめん。行ってくる」
「え?」
ナツノは鞄から財布を取り出し5千円札を置く。
「なっちゃん?」
泣き出しそうな顔でナツノはアヤを見た。
「こんなに大事になってたなんて思ってもみなかった。バカすぎるけど行かなきゃ。ははは……初めて人の恋愛に割り込もうとしている。怖いね」
ミツルは一度鼻を鳴らし「誰かの不幸が自分の幸福に繋がっているとか言わないが、傷つかない人間関係だけなんてあり得ない。それは真剣になればなるほどに。恐れるな。自分に真摯でなければ他人と正面で向き合えない。気づいてんだろ」と言ってカウンターを拭いていた。すでに水がなくなっているので、ただのポーズに過ぎないのだが。
ナツノは一度深呼吸して「ごちそうさまでした」と言って店を出た。

ドアの閉まる音を聞いてミツルは席に腰を落とした。
使っていないおしぼりを広げながら天井を仰ぎ深く息を吐き出す。
そして広げたおしぼりを顔の上に乗せる。
「ただのおっさんね」
「おっさんだよ」
「かっこわるい」
「ああ、生まれてこの方かっこよかったことなんてなかったよ」
「ネガティブね」
「ペシミストだからな」
「そう」
「ああ」
マイナスな会話の流れだがどこか穏やかな日だまりの中にあるようだった。

「あのー」
取り残されて行き場を失い冷静になったアヤがおずおずと口を開いた。
「ナタリア。水いいタイミングだったよ」
おしぼりを取ってアヤを見た。
「すみません。ついカッとなって」
「計算外だったけど、効果的だったな。マスターの声は通るからなっちゃんをこっちに戻してくれると思ったんだよ。ただ、どうやって声を出させるか悩んでたら、まさに呼び水」
そう言ってミツルは笑った。いや、笑ったように見えただけかもしれない。元々ミツルの顔立ちは微笑んでいるように見えるからだ。

「なっちゃんはナタリアみたいに真剣に怒ってくれる友達がいて幸せものだな」
「あんなこと言われてるの見たら普通誰だって怒ります」
「そうね。この人は他人を怒らせる天才だから」
サキはアヤに同調して小さく笑いながらそう言った。
「それは今日に限っては褒め言葉として受け取っておくよ」
「いつも褒めてないから安心して今日も貶されてると思ってね」

アヤは少し離れたところにある窓を見た。正しくは窓の外を見たのだが。
「気になるか? 大丈夫だよ。彼女は上手く行っても行かなくても後悔しない。そして、根拠はないけど上手く行く。そう仕向けたのだから上手く行ってもらわないと困る」
「ううん。たぶん上手く行くと思う……」
「なんだ。寂しいのか。大丈夫だよ。ここに来ればいい」
アヤは少しどきっとした顔になったがすぐに怪訝そうな顔になった。
「お気に入りのお店じゃ口説かないんじゃないんですか?」
ミツルの微笑んでいるように見える口元がすっと上がる。
「口説いちゃいないさ。営業だよ。この店に新しい常連を作るね。口説かれたいなら店を変えようか」
本気とも冗談ともとれる口調で顔には笑みを浮かべてミツルはアヤに言う。
「ごめんなさい」
ちょっと間を置いてアヤは答えた。
「こんなのばかりじゃないから、店には来てね」
サキがフォローする。
「はい。是非。あ、でもご迷惑おかけしてしまったから……」
「お気になさらずに。悪いのはその男ですから」とマスターにしては珍しく少し語気に怒りが含まれているような気がした。
「マスター怒ってる?」
「わかるだろ」
「すみませんでした」
「いい加減にしないと本当に出禁にするからね」
「肝に銘じます」
ミツルは深々と頭を下げた。
「本当に頭下げるのだけは得意よね」
サキはその姿を見てため息と共にその言葉を吐き出した。
店に笑い声が響いた。

それからアヤはなんとなくこの店に足を運ぶようになる。
常連として今夜がその最初の日となった。

| Scrap Heaven | 00:22 | comments(1) | trackbacks(0) |
sideB 23

 5月13日金曜日の夜は少し気温が下がっていた。
夏日になる日もあれば4月初旬のような気温の時もある。
気温が不安定だと客足が遠のきやすいのが飲食の常である。
しかも不景気に加え震災による自粛傾向とゴールデンウィークの直後ということもあり客足はぱたりと遠のいている金曜日だった。

関内にあるバー「Scrap Heaven」も同様で暇な金曜日を迎えていた。

客は最近よく来るようになった成田アヤがカウンターの真ん中にいるだけで金曜日だからスタッフ総出なのが、残念でならない状況だった。
客1人に対し従業員3名というのはあまりにも残念な状況と言えた。
それを気にしてかアヤはフードのオーダーをしようか悩んでいた。
明らかに料理人のシンゴが「何か料理を注文しないかなぁ」というような顔で時々自分を見ているようなきがしてならなかったからだ。
もっともシンゴはそんなこと思ってもいないのだが。

「何かお作りいたしましょうか?」
「え? あ、じゃあ……ガルフストリームを」
「かしこまりました」

アヤは昼間忙しくて15時過ぎに昼食をとったので、それほどお腹が減っていない。
誰かがいればシェアできるのだが、今は誰もいない。

「お待たせしました。ガルフストリームです」という声にかぶせるように背後で店のドアの開く音がした。

「いらっしゃいませ」
声を出す直前にマスターは顔を入り口に向けて、店に入ってこようとした人物を確認した。
目があって常連客が片手をあげて店の中に入ってきた。

「暇そうだな」そう言って客はアヤの右隣に座った。
「あ、剣崎さん。こんばんは」
「こんばんは。ナタリア」
「それ。やめてくれませんか」
「ナタリアはナタリアだろ」

高校の自己紹介の時にうっかり咬んで「成田アヤ」というべきところを「ナタリア……成田アヤです」という華々しいデビューを飾ったためそのあだ名がついた。
濃いめの顔立ちだがハーフというような顔立ちでもない。
いじめに発展しなったのはアヤの親友の力がなによりなのと、周りにはそういう人物がいなかっただけのことだ。

初めてこの店に来たときが高校時代の友人と一緒で、そのときたまたまミツルも店にいた。
それがアヤの運の尽きだった。

「マティーニ」
「かしこまりました」とマスターが言うか言わないかのタイミングで隣にいたサキはロックグラスをマスターの前に差し出していた。
ミツルはほとんどの場合ウオッカアイスバーグしか飲まない。
それがマティーニをオーダーされたので、出したグラスが空振りに終わった。

「珍しいじゃない」
「率先してロックグラスもたれたから変えた。ってのは嘘で今日くらいはちょっと変えようかなと」
「何かあったかしら?」
「マスターはわかるだろ?」
ミツルはマスターに話を振った。
ボトルとミキシンググラスをカウンターに置きながらマスターは顔を向けて「カクテルの日だね」とミツルに言った。

「さすがマスターって、マスターなら知っていて当たり前か」
「それでマティーニって安直じゃない? 呆れた」
「サキが呆れてるのいつものことだろ。王道やベタも悪くない。それに食前酒だ」
「そうやって理由をいちいちつけるのやめたら?」
「何をやっても文句を言うのが好きだねえ。まあ、いいや。シンゴ。お奨めは?」

シンゴはサキとミツルのやりとりを小さく笑いながら見ていた。
サキは身内に対して辛いという評価にたどり着いていた。
それが接客として正しいとは思わないがこの店のカラーだと思っている。
マスターがとがめない限りはそう言うものだと思っていた。
生家が料理人の家柄だけに接客も身にしみてわかっている。
ミツルが拒否せずマスターが認めているならこれがこの店のスタンスなのだ。

「鰆のアクアパッツァなんかどう?」
「いいねー。時間かかるだろ?」
「ちょっともらいます。何かつまめるものだしますか?」
「うん。任せた」
「かしこまりました」

シンゴとの会話が終わるのを見計らってマスターはミツルに話しかけた。
「ジンの指定はある?」
「うーん。ゴードンかな」
「仕上がりは?」
「無理にドライにしなくてもいいよ。45の15のマティーニで」
「かしこまりました」

アヤはミツルを見ていた。
「どうした? ナタリア」
「いや、すごいなーって」
「なにが?」
「入ってきただけで空気が動いたから」
「そんなことないよ。ナタリアだって動かしてるよ。人が存在するってそんなもんだよ」
「そんなもんですかねえ?」
「そんなもんだよ」

ミツルは小気味よくステアしているマスターの手元を眺めていた。
その視線を追ってアヤもマスターの動きを見ていた。
氷がぶつかるような音はほとんどせず全くと言っていいほど余計な動きがない。
「きれいですね」
「ああ。まったくぶれがないから機械なんじゃないかと思うこともあるよ」
「くす。確かに」
アヤはマティーニが作られるまでの一連動作の淀みのなさに驚きながら美しさを感じていた。
いわゆる機能美にも似た所作の美しさだった。

マスターは透明な液体を注いだカクテルグラスにオリーブを沈める。
あらかじめカットしておいたレモンの皮を絞る。

「お待たせしました」

ミツルはピンに突き刺さったオリーブをグラスから取り出し、余った手をグラスに伸ばし、カクテルを飲んだ。
普段はウオッカアイスバーグばかり飲んでいるのでロックグラスを持つことが多いが、慣れた手つきでカクテルグラスを持ち上げた。
カクテルグラスに脚があるのはショートドリンクは15分くらいで飲みきることが理想とされているため、脚の部分を持つことによりカクテルに体温を伝えないことを目的としてる。

「うん。マスターが作ってもマティーニは苦手だな」
「え? 苦手なお酒なんてあるんですか?」
アヤはミツルにそう言った。
「そりゃあるよ。例えば、マティーニやフランシス・アルバート、ゴッドファーザーとかも苦手かな」
「へー意外です。お酒なら好き嫌いなく飲める人なのかと思ってました」
「ウオッカアイスバーグだけ飲んでるようなやつを見てどうしてそう思ったんだ?」
「あんなお酒を飲めるならなんでも飲めると思いますよ」
「あんなって……その言い方は全国のウオッカアイスバーグファンを敵に回したぞ」
「あ、すみません」
「冗談だよ。気にすんな。今日はカクテルの日だからマティーニ飲んでみたけど、普段なら選ばない。これを美味いとかいうやつの気が知れない。っていつも思っているからね。アイスバーグファンよりも多いから俺の方が敵が多いってことになるかな」
笑いながらそう言うとマティーニを飲んで「うん。やっぱりダメだ。いつか美味いと感じる日が来るのかな」とグラスを見つめながらアヤにも聞こえるようにつぶやいた。

サキはフォークとナイフをミツルの前に置いた。
「アンティパストミストまではいかないけど、盛り合わせっぽく。春野菜のカポナータ、小鰯のマリネ、イタリア産のサラミとプロシュート、パルミジャーノ」と言ってシンゴはミツルの前に皿を出した。
「ミストでもいいんじゃないか?」
「なんか手ぬきっぽいじゃん」
「まあ、シンゴが言うならそういうことなんだろうな」
「そうそう。食べながら待ってね」

ミツルはサキにもう一組フォークとナイフを出すように言った。
するとサキは取り皿をカウンターに座っている二人に出して、フォークとナイフをアヤの前に置いた。
ミツルは皿を二人の間に動かした。

「一人でする食事はつまらないから。付き合ってくれ。食う食わないは任せるけど、おれからすると時間は共有できている方が楽しいと思うんだよ」
「早い話が極力食ってくれって言ってるみたいよ」
サキが通訳をする。
ミツルが憮然とする。
その二人を見てアヤは笑った。

「さて、カクテルの日2杯目は何にしようかな?」
「流れではネグローニあたりもいいんじゃないかな」
「さすがマスター。間違いなく選らないあたりから出たな。しかも食前酒だ。じゃあ、ネグローニで」
「かしこまりました」

サキはあきれ顔でミツルに釘を刺した。
「そんなに強いのばかり飲んでるとメインの前に酔うわよ」
「はいはい。じゃあ、このあとはバンブーとかにするよ」
サキはそっぽを向いて小さく肩をすくめた。

マスターは金曜日だがずいぶんとゆっくり時間が流れそうだと思いながらカクテルを作っていた。

| Scrap Heaven | 00:54 | comments(2) | trackbacks(0) |
sideB 22
行きつけになった店が嫌になったわけではない。
ただ雨の夜と心が疲れているときは、時々誰にも顔を知られていない店に行きたくなる。

10月23日はそんな夜だった。

東京では大したことのない雨も横浜では大粒の雨だった。

疲れていた。
仕事もあるが人間関係でも疲れていた。

話好きの人間は無責任に噂話をするのが好きなのは常で、人の口に戸は立てられないというのも十分にわかっている。
だから、無責任な噂話のネタ元になるのも、聞くのも嫌だった。
職場の飲み会で男女の比率が同じで少数なら確実にいない人間の噂話になる。
笑いながら聞くことはできる。
そうやって生きてきたのだから、どんな場面でも笑顔を作ることはできる。

それでもそんな飲み会は気分の悪くなるものでしかなかった。
終わったあとの疲弊は半端ではなかった。
悪酔いをしていることを認識している。それでも飲みたかった。

ただ、顔見知りの店だと確実に悪い虫が顔を見せることは間違いなかった。
ひねくれた感情表現で甘える。
許してくれると思うから悪態をつくのがわかっていた。
素直に疲れて癒してもらうことが苦手だった。
子供の頃からそういうことが得意でなく、どうしていいのかわからないまま成長して逃げることだけが得意になった。
得意というよりも、むしろミツルそのものと言えるかもしれない。

そんなミツルが時々心を許す存在ができることがある。
例えばScrap Heavenのマスターやサキ、常連のゼロや雷蔵などがそうだった。

店の常連に気を許してしまうのは利害関係を一切廃しているからだろう。
バーの店員に気を許しているのは西洋被れかもしれないが、魂を助けてもらいたいからかもしれない。

とはいえ、それを叶えられるバーテンダーは少ない。

そういう意味でミツルにとっての僥倖はScrap Heavenに出会えたことだろう。
そして不運でもあった。

ミツルがこの手の店で適当な不満を抱えなければ意味がなかった。
救いを求めて叶えられるのは生きる望みを持たせられるのに均しいからだ。
絶望を希望に変えられるのは苦痛だった。
生きるのが苦手な人間は自己の不幸を呪うことで、生きていける。世界とその他大勢を恨みながら生きていく。ただそれだけの生だ。
それでも死は恐ろしい。
だが、生きることも恐ろしい。
それでも死なないのは根幹的な欲求として生きていたいからなのだろう。
死にたいのは生きたいの裏返しで、凄惨な殺人事件の犯人の下らない逃げ口上でさえ、あまりにも愚かな生きたいという願望の現れでしかない。

人は生きたいだけだ。
それは生物の根幹的欲望でしかない。

人は不運を呪う。
愚かなまでに呪う。だから幸福を願いながら、不運であることに酔う。それはこの手の人間が生きるためには必要なことだ。

だから、生きる望を与える店は事によっては毒だった。

毒であり薬である。
ミツルは早い時期にそれを手に入れてしまった。
自分の不安定さを認識するために自分を知らない店に行きたくなる。
そして今夜のような雨の日には特にそうなる。

ふらりと関内で降りて吉田町あたりを歩く一階にバーが多いのも特徴だった。
店の中が見えるバーが多い。
ミツルはそれを嫌って中が見え難い店に入った。

初めての店だ。
店の中は程よくざわめいていた。
照明は落ち着いている。
BGMはシックな内装に合う音を抑えたジャズだった。
若いバーテンダーが2人いる。
声をかけられることはないだろう。
ただの職業バーテンダーであれば当たり前だ。

推測どおりバーテンダーはこれといって一人客であるミツルに話しかけることもなかった。
ついでに言えば常連とも会話をしているようには見えなかった。
バーとしては及第点には及ばなかったが自分を見つめなおすことはできた。
それだけでよかった。

毒にも薬にもならない店は水であればよい。
ただ、飲むだけの店であればそれでよかった。

時計を見ると薬になる店に行っても2杯くらい飲めそうだった。
その店で発した片手で足りる言葉の最後の言葉をバーテンダーに告げた。

JUGEMテーマ:小説/詩
| Scrap Heaven | 00:16 | comments(2) | trackbacks(0) |
sideB 21
オリンピックの開会式が意味もなく深夜に及んで翌日の協議に影響が出るのではないかと思われるころ、自宅の最寄り駅で降りた。
実際にはそこから相鉄線に乗り換えるのだが、今日は横浜駅で降りて鶴屋町の方に足を向けた。

前にあるバーテンダーに聞いた店を探してみることにした。
話が確かならオーセンティックでジャズが少し流れているだけの静かなバーのはずだ。

腕前は確かだと聞いている。
横浜方面から東京と修行して、今は自分の店を出しているバーテンダーだという。
今向かっているバーを紹介してくれたバーテンダーはカクテルコンペで優勝するような人物だった。
その人物が勧めるのだから多少の期待はしてもいいだろう。

思いの外店は簡単に見つかった。
ライトアップされた看板があったので、すぐにそれとわかった。
ただ、普通なら見落としても当たり前のような小さな看板で、そういう店を探しているからこそ見つけることが出来たのだろう。

看板の脇に階段がある。木の板をわざわざ壁に貼付け、落ち着いた雰囲気を演出し、客の為を思ってか照明の度合いは少しだけ明るくしてある。

階段を下り黒塗りのシックなドアに手をかけた。
妙に重く動く気配がないが、扉の重さならlittle snowで慣れている。
ぐっと力を込めて手前に引くとゆっくり開いた。

ドアを開けると内側に溜まっていた闇が流れ出してきたかような錯覚に囚われた。
闇が粒子だとしたら、ざーっと音を立てて流れ出てきたというのがミツルの感じた印象だった。

「いらっしゃいませ」

闇の奥からひどく無機質な女の声が耳に入り込んできた。
その独特の声の響きと闇の深さに、ミツルは地獄の門でも開いてしまったのかと思うような気持ちになる。
本当は階段などなく、自分が既に死んでこの場所に来たのではないかと訝しんだ。
さすがにその思いはすぐに否定したが、

ぐっと目を閉じてから開けると、闇はそれほど深くも濃くもなかった。
照明がかなり落ちてはいるが、気にする程のものではなく、目が慣れればどういうことのない照明だった。

店に入り低めの椅子に腰を下ろす。1人掛けのソファーのような椅子だった。

目の前に立った女はほっそりと言うよりもガリガリに近い感じの女でミツルと同じ30代半ばに見えた。

さっと見回した限り回りに客はいなかった。

「オリンピックやワールドカップになるとモニターのない店は弱くなるんですよ」
「そうでしょうね。そういう店が多いですよ。えーと、まあ、こんな日ですからね。オリンピックを」
「オリンピックですね。かしこまりました」

淀みなく女はカクテルを作る。
シェーカーを振る姿はキレイな二段振りだった。ただ、その美しさは機械のように感情もなにもない正確さであり、つまりは機能美だった。

オレンジ色のカクテルがカクテルグラスに注がれて目の前に出される。

「お待たせしました。オリンピックです」と紋切り型の答えも機能美の中に含まれているかのようで、精密なロボットのようでもあった。

「こちらはどちらかのご紹介ですか?」

ミツルが店の空気を探り出すのを見計らったかのようにバーテンダーは声をかけてきた。
この質問も紋切り型でバーテンダーが初めて見るであろう客に対して声をかける常套句である。

ミツルは紹介してくれた店とバーテンダーの名前を告げると、この店のバーテンダーはすっと笑顔を作り「そうですか。あの辺りでよく飲まれるのですか?」という質問を追加してきた。
この後は酒の趣味とかカクテルの好みなどを聞いて簡単なその人物を作り上げ、軌道修正をしながら当たり障りのない会話をしてくるはずだ。
あとはこの店を紹介した店のバーテンダーの話などで、適度に会話は続くことになる。

「お客様何かお気に障ることをしましたでしょうか?」
「え? いやないですよ」
いつものように柔和な笑顔を見せる。
単に自分が苛ついているのを見透かされたことに驚きを禁じ得なかった。

「そうですか。申し訳ありません。よく気にしすぎるとお客様に言われることがありますので。すみません」
苦笑するように微笑むと機械仕掛けのバーテンダーに人間味が出た。
夜目遠目笠の内という言葉もあることは知っているが、ミツルはそのどこかぎこちない笑顔に心を奪われた。
一瞬だが惚けた面になったと慌てて顔を背けたのは、暗がりで顔が見られたかはわからないが、顔が赤くなる感じがしたからだった。

他店の紹介で1杯というわけにはいかないだろう。
ミツルは残りのカクテルを一気に煽ると、いつものとおりウォツカアイスバーグをオーダーした。

ミツルにとってバーでの恋は御法度だった。面倒だからだ。
だから今のオーダーで心を決めた。
この1杯を飲み干したら気持ちを切り捨てることを選んだ。
急に飲んだりせず、平静を装い理性で適当に感情を制御する。
無理矢理感情を抑え込もうとすると不自然さが出るので生かせるところは生かしやや好印象になるように振る舞った。

会計を済ませるとミツルはこの店に2度と足を踏み入れないことを決意して退店した。
それほど固い決意が必要な話ではないかもしれないし、単にこの日の感覚の問題だけかも知れないが、それが本気だったときに取り返しがつかないことを嫌ってミツルはそう決めた。

「またのお越しをお待ちしております」

その声に背を向けたまま手を挙げて答えミツルは外に出てタクシーを拾った。
帰り道の順を教えて1つ息を吐き出す。
それと一緒にこの定まらない気持ちも吐き出せてしまえたらと思わずにはいられなかった。

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| Scrap Heaven | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
sideB 20
北京オリンピックの開幕の日の21時を少し過ぎた頃渋谷の小洒落たダイニングバーにミツルはいた。BGMが少し大きいのと、阿呆のようにべったりくっついているカップルだらけなのを除けば、料理の味は及第点だったが、グラスの中で氷が泳ぐほど酒は進まなかった。

目の前に座っている女はいったい誰だろう。
酷く他人の悪口をする女だった。
酔っているからだろうか?
いや、そうではない。この女の特徴に違いなかった。
だから思う。
この女に捕まるのはダメだ。
基本的にそれ以外はこれと言って文句はない。
ああ、違う。
くちゃくちゃ音を立てながらものを食べるところとか、食べる姿勢の悪さとか……挙げると切りがない。

同じ職場でなかったら静かにフェイドアウトして彼女の人生から消え失せたかった。
正しくは、自分の人生に関与して欲しくなかったというべきなのかもしれない。
それでも目の前の女が誘ってきたときに、断り切れない状況にある。
理由は簡単で、断り切れない性格と、相手の押しの強さに負けるだけのことだった。
それも気に入らなかった。
もちろん自分自身についての苛立ちもある。

自分が許せないから気持ちの逃げ場がなくなり、心の中で渦を描いている。
ドロドロとした感情の渦は心をじくじくと汚していくようだった。

ただ、逃げの処世術と攻撃されていることに気付かせずに相手を籠絡する術で生きてきたミツルにとっては、組しにくい相手であることは間違いなかった。
直情型のオフェンスはじわじわと籠絡するミツルにとってことが性急に進みすぎるため、強烈に後手に回る。
この手のタイプと付き合ったことがないわけではない。ただし、得意とする方ではないのでミツルが疲労困憊するころに相手が別れを切り出すと言うのがパターンだった。

「ごめんね。重荷だったよね」などのセリフを残して、消える。
ほっとする反面いい加減に付き合ったなりの情というものも生まれいて、それが心に染みを残す。

ミツルは基本的に弱い人間である。
それ故に依存傾向にある。それは子供の頃友情とも愛情とも縁遠い世界に生きてきたものが、いきなり愛情や友情のある世界に放り込まれたがための反動的な衝動のようなものだった。

手に入れたものを手放す惜しさ―

それが妥当な答えかもしれないと自分で気付きながらも、いつもそれを断ち切ることが出来ないでいた。しばらく、感情を引きずり女のぬくもりを思い描いて、消え去るのは1か月以上あとのことだった。

ただ、今目の前にいる女を断ち切らない理由はそれではなかった。
まだ職場にどちらかがいるからという、それだけの理由だった。
不機嫌になられて仕事に影響しても面倒だし、だからと言ってこれ以上近づきたくもなかった。
恋をするなら身近なところでするべきではないというのも持論だった。
それが壊れると色々な方面に波及効果が出るのを嫌ってのことだ。
恋愛の延長線上に結婚があると思うのが普通だろうが、ミツルはそれを望んではいなかった。

だから、呆れられるのだろう。
それがいつものパターンだった。
仮にこの女と付き合ったとしても同じように最期の最後でミツルは放り出される。
諦めているが情も湧いているころだ。
それを勘違いして「重荷」と解する女もいる。
きっと目の前の女もそういうタイプだろう。

面倒だった。

適当に切り上げて横浜に帰りたかった。
バーで飲みたくて仕方がなかった。
SCRAPHEAVENでも、littlesnowでもなく、見知らぬバーテンダーの前に座ってくだを巻くわけでもなく、ただ静かに飲みたかった。

いっそBGMはなくてもいい。
酒と沈黙の底でドロドロとした澱の中から自分を引き上げたい心境だったが、職場の人間の悪口を言い続ける女の口をしばらくは止められそうになかった。

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| Scrap Heaven | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
sideB 19
台風も過ぎればどこ吹く風とばかりにミツルはいつもの店のいつものカウンターに座っていた。
6月に入ったというのに気温は低くクールビズが叫ばれても長袖にジャケットは手放せない状況で、ミツルも同様にスーツに長袖のワイシャツ、ネクタイという風体だった。

「ミモザ」とミツルはオーダーした。
一瞬の間が開いた後にマスターは「かしこまりました」と告げて冷やしておいたフルートグラスにシャンパンを注ぎ、次にオレンジジュースを注いだ。

「ゼロが生きていたら「ミモザなんて言うなよ。ここは粋にシャンパン・ア・ロランジェだろ?」とか言うんだろうな……」

静かにジャズが流れる店内に沈黙も流れた。

「はいはい。そうやって勝手に殺さない」
「ゼロさん意外と薄幸なのに死んだらどうするんですか」
「まあまあ、ほら一度死んだら二度と死ねないだろ?」

客であるミツル以外にはマスターと料理を一手に引き受けるシンゴしかいなかった。
バータイムだというのにこの有様だった。

寒くなるとバーは冷え込むことがある。
氷が容易に手にはいるようになった現代では、昔よりも格段に冷えたカクテルが飲める。
それはいいことだが同時に「カクテルは冷えているもの」という認識を与えることでもあった。
寒い日に好きこのんで内部からも冷やす必要などないから、足が遠のくだろうし、寒い日は大抵雨が降っているので、飲みに出かけることも少なくなる。そうなると大抵2次会などで使われることの多いバーは必然的に客足が鈍くなる。

この日は肌寒く台風と梅雨前線の影響で天気は悪く人影はまばらだった。

マスターは「こんな日もあるさ」と割と諦めるのだが、今日休んでいるサキは、こののんびりとした性格を諫めることがある。
火曜日のバーは割と人が少ない。
営業努力をする価値はあるが、常連のことを考えるとひとけのないバーも悪くないとマスターはいつも思う。

こうやって下らないことを常連と話す時間はそれはそれで貴重なものだと思うからだ。

するっとミモザを飲み干し、ミツルはジャックローズを注文した。

リンゴのブランデーであるカルヴァドスを使ったカクテルでカルヴァドス、ライム、グレナデンシロップをシェークして作る。カクテルグラスに注がれて赤いバラが咲いたような印象のカクテルだ。

既に飲んでいるミツルがウォツカアイスバーグ以外をオーダーするのは珍しいことだった。
サキほどミツルの精神状況を読めるわけではないにしても、マスターにもミツルに何かあったであろうことはわかっていた。

ジャックローズをミツルの目の前に置いた。

ジャックローズに手をつけずミツルは暗褐色の深いバラの赤を連想させるそれを見つめる。
そして、1軒前のバーでの出来事を思い出していた。
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| Scrap Heaven | 00:11 | comments(3) | trackbacks(0) |
sideC 11
涼太はソルティードッグを飲んでいた。

ブラックスーツにノーネクタイ。
マスターは容易に想像がついた。
ネクタイの色は黒で誰かの通夜だったのだろう。
それでソルティードッグというのなら、センスがないといえる。もちろん、マスターはそんなことを思わない。
仮に思ったとしても口には出さない。

1月16日の日付が変わりそうな時間だった。

「会社の同僚だったんですよ。同期入社だったんです」
「そうだんだ」
「ええ。なんかそいつバカだけど、凄く元気で笑っちゃうくらいだったのに……あっけないよね」

1年前の3月に自分の叔父を亡くしている。
そしてこの店の常連客でもあった。
短い期間だったがいい常連客だったとマスターは思った。
いささか薀蓄と気取り癖があるのが玉に瑕だが、泥酔を極力避けるように飲んでいた。
多くの常連とも馴染みになったころに彼はいなくなってしまった。
深い爪あとにこそなりはしなかったが、衝撃が走ったことは間違いがない。
クリスマスまでよく顔を見せていた常連のくるみなどは酷く狼狽していた。それからあまりこの店に来ることもなくなったように思えた。

「死ぬまで絶好調」
「え?」

思いの外深く考え事をしていた。
涼太の呟きで現実に引き戻された。

「あ、すみません。そいつの口癖だったんです」
「中畑清みたいだね」
「代表の監督だった人ですよね」
「ボクからすれば巨人の名一塁手ってところなんだけどね」
「へーそうなんですか」
「野球興味ない?」
「サッカーもそうだけど、国際大会くらいしか見ないんですよ」
「じゃあ知らなくても仕方ないか」
マスターは穏やかな笑顔を見せてそう言ってから「何にする?」と涼太に尋ねた。
涼太はいつの間にか空になったグラスに目を落として「ジャック・ターをください」とオーダーした。
涼太は叔父の茂と同じものをオーダーする傾向にある。
涼太にとっては飲むことに関して師匠のような存在だったのかもしれない。
一緒にこの店では飲んだことがないが、こうやって涼太はいる。

手早くジャック・ターを作り涼太の前に置く。
「ありがとう」
マスターは一瞬息を飲んだ。
一口飲んで顔を上げた涼太の顔に何故か茂の面影を見たからだった。
似てるとは言いがたい茂と涼太が重なって胸に不安がよぎった。
人の死の話にまつわることを聞かされたあとで、故人を思っていたときだったから血縁者にその影を見ることもあるだろう。

「どうしたんですか?」
「え?」
「なんか顔色悪いですよ」
「そう? 大丈夫だよ」

涼太から視線を外しグラスを磨く。
思考と少しだけ乱れた呼吸を落ち着けるためにゆっくりと静かに呼吸を3回繰り返す。
会話が途切れるには十分な時間が流れた。

「大丈夫?」
涼太が同じことを口にした。
「うーん。ちょっと正月ボケが治ってないのかな?」
「正月ボケっていうより天然っぽいですよ」
「かもね」と言ってマスターは苦笑してみせた。
それからマスターとマスターとの間で交わされた会話は取り留めの無いものに終始した。

「明日も早いから」と気にするには十分遅い時間の閉店間際に涼太は店をあとにした。
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| Scrap Heaven | 02:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
sideB 18
横浜は昼だというのに寒かった。
快晴とも曇天とも言いにくい空に吹く風が冷たかったのが影響しているのだろう。

今日東京マラソンで走るランナーのことを考えると身のすくむ思いだ。
寒いのは強くもなく弱くもないが、自ら走ることで体感温度を下げる行為はどうしても出来そうにない。
走っているうちに温かくはなるだろうが、それでも寒いだろう。

義理の妹であるサキに選んだ水色のセーターを着て灰色のピーコートを羽織っている。着るものに元々無頓着な男は妻が生きいたころは妻に選んでもらっていた。自分で選ぶと黒、白、茶色、灰色と地味な色遣いばかりの服になる。男は長身であるが故に何を着ても無難に着こなすことができる。
妻がいなくなって見るに見かねて義妹は「アスカちゃんの為にちょっとはお洒落しよう」と言って服を時々買いに出かけていた。
今はサキの代わりにアスカが服を選ぶようになりはじめているが、いかんせん若々しくなりすぎるのが問題だった。
選んで貰ったマフラーは大きな星柄物の赤いマフラーだった。
前にサキから「コーディネイトが悪い」と言われてからサキの選んだ服を着るときにマフラーができないでいる。そのため寒さは染みいるようだった。

娘の手をひきながら空を見上げて一度小さく身震いをした。
「寒いの?」
「うん? いや……寒い、かな?」
男は困ったような顔で笑う。それを見た娘は余った左手を自分の腰にあてて、どこで覚えたのか大きくため息をついて落胆する素振りを見せた。
「パパは優柔不断で寒がり。しょうがないなー。ココアでも飲もう。あ、違うんだからね。別にココアが飲みたい訳じゃないんだからね。パパが寒がっているからしょうがなくなんだからね」
「じゃあ、アスカの言葉に甘えようかな」
さも自分が正しいと言わんばかりにアスカは鼻息を荒くしながら首を縦に振った。
「わかればよろしい」
母に預けることが多いからどういう番組を見ているのかさっぱりわからない。

バーテンダーという仕事に就いている以上夜子供を1人にすることになる。さすがに1人にできるほど成長していないし、仮に成長していたとしても母に預けておきたいくらいだ。
母親に娘を預けるのは母の家が自宅から近いことが最大のポイントだった。
娘が欲しかった母親が新たなる子育てに目覚めてしまったことも相まって男にとっては渡りに船の状況でもあった。
ただ、自分が子育てを放棄しているようで少し罪悪感に駆られる。
それもあって「1日1回は同じ食卓に着く」というルールを自分に課した。
明け方帰ってきて母親のところで食事をとり、幼稚園に送り、眠り幼稚園に迎えに行き、母親に預けるというサイクルを繰り返していた。
単調だがそれでも子供との接点を失わないようにしなければならない。

昼間の職業を選ばなかった自分ができる最低限のことだった。最大限でもありそうなのだが、男にとってはそれは最低限に止めておくことで、まだできるという思いを残しておきたかったからだろう。
最高の幸せを与えなければならない。
妻に先立たれ、アスカの存在によって救われたあの日からずっと考えている。残された娘に妻が受けるはずだった分の幸せを与えたいと考えていた。
それがどんなにおこがましいことであろうと、男はそう考えずにはいられない。
父親という存在なら余程のことがない限り普通に思うことだろう。それが普通の父親より強いのは自覚しているところだった。

「パパ。痛いよ」

その声で男は我に返った。
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| Scrap Heaven | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |